カテゴリー「03神社・仏閣」の12件の投稿

牛久の道標

牛久市新地町の三叉路に、月読尊の石碑がありました。

 牛久市史民俗調査報告書Ⅱ「城中・新地、上町・下町の民俗」によると、「弘化新田に入る手前の三叉路には、月読尊の石塔が立てられている。かつては近隣の家々で「サンヤサンの仲間」と称される講中を組み、正月23日にはヤドの床の間にサンヤサンの掛け軸をかけてニジュウサンヤマチ(二十三夜待)が行われていた。」とされている。 旧茎崎町樋ノ沢の月読神社と関係があったようです。

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 このそばの道沿いに、大正10年11月の道標が立っていました。 

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  右に行くと、小茎、若栗、羽成、谷田部。左に行くと新地を経て牛久、城中となっていました。

 

改善一歩の道標

 旧牛久村は、現在の、城中村、牛久村、田宮村、遠山村、そして、新地村が、町村制施行の際に、合併してできています。

 ここには、河童の絵で有名な小川芋銭が暮らしていましたが、大正11年に、地元の城中青年会(矯風会)によって旧牛久村の主要な道沿いに道標をたてる計画があることを知り、永久に耐えられる石柱にするべく寄付をしたため、芋銭の名を刻もうとしたところ、「改善一歩」を提案したという。

 現在、7柱が点在しているといいますが、同じ頃なので、その1本なのでしょうか?この道標も裏もよく見てみればよかったのですが、たしか、改善一歩とは刻んでいなかったと思います。

場所の地図 「道標の場所」をダウンロード

 

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鹿島神社(牛久市上太田)

鹿島神社 (「稲敷の神々」茨城県神社庁稲敷支部)稲敷の神社参照

 

鎮座地:牛久市上太田町475、御祭神:武御雷命(タケミカズチノミコト)、御祀神:天児屋根命(アマノコヤネノミコト)・誉田別命(ホンダワケノミコト)

 

創 建:大永7年(1528年)9月(部落民、鹿島の大神の神徳を敬仰し、分霊を奉斎して鎮守とす。) 現在の社殿は、寛永8年(1631年)3月造営

 

例祭 11月19日 以前は、4月15日に、上太田花見囃子(大杉囃子)が行われていたとのこと

 

○入母屋造りの拝殿 扁額も由緒ありげです。

 

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○流造の本殿 なかなか立派です。

 

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○小社は弓取八幡宮。御配神の誉田別命(=応神天皇)を祀るものなのでしょうか。一般には、武運の神とされます。

 

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○大杉大明神・常陸坊海尊

 

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 大杉大明神・常陸坊海尊の石祠なかなか興味深いところです。この石祠は、稲敷市阿波の大杉神社に由来するものと思われますが、そのHPでは、常陸坊海存(海尊)について、以下のように説明しています。

 

 『今から800年ほど前、大杉神社では源義経と行動を共にしたこともある常陸坊海存(海尊)が社僧を務めていました。
 海存の容貌は特徴的で巨体に紫髭、碧眼、鼻高でありました。海存は不思議な力を持っており、大杉大明神の御神徳によって、病を治し、多くの人々を救い、数々の奇跡を示しました 。 そのことにより「海存は大杉大明神の眷属で、天狗である」との信仰へと発展いたしました。
 当初は海存の風貌から烏天狗を御属としておりましたが、後に陰陽一対として鼻高天狗、烏天狗の両天狗を御眷属とすることとなりました。
 現在ではいかなる願いも叶えて下さったと伝えられる海存の奇跡に由来して、大杉神社を日本で唯一の「夢むすび大明神」と称し、鼻高天狗は「ねがい天狗」、烏天狗は「かない天狗」と呼ばれるようになりました。』 以前、大杉囃子が行われていたことと合わせて、郷社であった、大杉神社とつながりがあったのかもしれませんね。

 

 ○他の石祠 天満宮、天照皇大神宮、羽黒山(下の方は見えません)、石尊大権現(せきそんだいごんげん。大山阿夫利神社の関連と思われる。)

 

 後ろの二つは、江戸時代の信仰なのでしょうか?羽黒山詣りや大山詣りと関係があるかもしれません。

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美浦 大宮神社

今年も、美浦村の陸平貝塚で確認調査のお手伝い。

陸平貝塚の北西に大宮神社があります。縄文や弥生だけでなく、中世の陣屋敷(仮の砦程度か)もあったようです。その中心にあるのが大宮神社。

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雨引観音

 雨引観音にいってきました。  

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 山門を入り、鐘楼を右に見ながら階段を上っていくと、仁王門です。 

 雨引観音は、正式には、雨引山楽法寺といい、現在は、真言宗豊山派の七堂伽藍の大寺院です。板東観音霊場33箇所の24番札所にもなっている名刹です。

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さらに階段をのぼると、正面に、本堂、左手に、多宝塔です。

 寺伝では、古墳時代末の587年に、梁の国人の法輪独守居士によって開かれたとされている古いお寺で、推古朝の頃、格式の高い勅願の寺とされたといいます。もちろん、その頃にはまだ、真言宗自体が成立していません。江戸幕府と縁の深い真言宗豊山派となったのはいつのころなのでしょう。

 また、東国花の寺百ヶ寺、茨城六番札所にもなっています。サクラ、ボタン、ツツジ、アジサイが見られますが、特に、サクラの名所として知られています。

1八重咲きのサトザクラの仲間「イチヨウ」

 葉の中心部から葉の形に変化した雌しべが一本突き出ており、この様子からイチヨウの名前がついたそうです。なかなかきれいでした。

 このほか、寺内では、クジャクが放し飼いにされており、鋭い声で鳴いていました。

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 すぐそばで、毛づくろいをしていたのが、カメラに向かって少しだけポーズをとってくれました。クジャクってこんなにきれいでしたっけ。

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桜川の漁と松塚めぐり【2011.10.16(日)】

 アースデイつくばのイベント 歩いて発見で桜川の漁と松塚めぐりに参加しました。  

・東福寺 

 出発前に、尼塚を見てきました。『つくばの昔ばなし』では、尼塚には平将門の娘滝夜盛姫(たきやもりひめ=如蔵尼)のお墓があり、そのお墓に使われたという石棺の石が東福寺に残っているそうですが、大きな石が幼稚園の入り口付近に置かれていました。
 尼塚には新しい卒塔婆も建てられており、現在もお詣りされているそうです。また、石棺の石はとても大きなもので、尼塚のところにも古墳があったと思われます。いずれにしても、相当な人物が祀られていたものなのでしょう。そういえば、橋本幸雄住職からは、松塚は、昔、古墳がたくさんあり、万塚といわれていたものが、松塚になったとのお話もありました。
 

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 これも後で、ご住職に伺ったところ、一般に、滝夜叉姫といわれるが、夜叉には良い意味がなく、ここでは滝夜盛姫と呼ばれているそうです。
 さて、東福寺は、正式には、作藏山延命院東福寺といい、真言宗豊山派の非常に格式の高いお寺でした。立派な楼門には、仁王像が安置してありましたが、これは、徳川家光が筑波山知足院に安置したものですが、明治初年の神仏分離の際に所縁のある東福寺に移されたものだそうで、桜川を筏に乗せて運んだので「流し仁王」ともいわれているそうです。
 

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(右が阿形像、左が吽形像ということになるのでしょう。)

 

 東福寺は、現在の栄公民館の付近で、三十三枚形(33反)の広い境内の中にあったものが、南北朝末に焼失し、その後、再建できず、東福尼寺があったといわれる現在の位置(それでも15反あるそうです)に移ったといいます。現在の楼門、本堂などは、二十世住職であった慧海(えかい)僧正が建立したものだそうです。  

 この立派な楼門には、一千貫もある梵鐘があったそうですが、戦中に供出されたそうです。見て見たかったですね。

 

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  本堂もつくりや格子天井が普通の寺院と異なっていましたが、中本山として末寺が64ヵ寺もあり、10万石の格式だったそうです。このため、土浦の土屋候が上京の際はわざわざ立ち寄っていったとのことでした。案内役の鈴木清次さんによると、字松塚には県道がないそうですが、門前の道もとても細かったので、ここを大名行例が通ったとは、なかなか信じられません。
 なお、将門所縁といわれるご本尊の延命地蔵尊は秘仏で8月24日だけ御開帳となるそうです。

 

 

2011_10_16_0012_edited1正面の柱の下には亀の彫り物。これも変わっています。

 

 ・桜川へ  

 まだまだ見どころがあるのですが、時間もなく、田んぼ中を、チョウゲンボウを見たり、オナモミのイガイガの実をつまんでみたりしながら桜川へ 

2011_10_16_0021洪水敷きではコスモスが満開

 

 さて、案内役の鈴木清次さんは、桜川漁業協同組合長、茨城県内水面漁業協同組合連合会会長、全国内水面漁業協同組合連合会理事などの肩書を持っている偉い人ですが、とても気さくな方でした。
 投網を打つと大きなフナ、モロコなどがかかり子どもたちは大歓声。しかけた網の中には、カワエビ(ナガエビ?)。
 桜川では、水産資源の確保のために、フナ、ワカサギ、アユの増殖事業を行っているそうですが、今日は、フナの稚魚の放流のお手伝い。50kgで7000匹ほど。バケツですくって次々と放してやりました。
 

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   今、一番厄介なのは、アメリカナマズだそうで、背びれや胸びれに鋭い骨があり、天敵がいないため、どんどん増えて、しかも、貪欲に小魚などを食べてしまうそうです。そのほかは、カワウだそうです。

 

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   この後、カワエビ、モロコなどを唐揚げにしていただきましたが、なんともおいしかったです。アメリカナマズも食べられるそうで、これも調理して、唐揚げにしていただきました。
 ここで、昼食にして、コスモス畑で記念写真を撮って次は、松塚古墳群です

 

・松塚古墳群 

 江戸時代の面影を残す集落のなかを通って、鹿島神社のところへ。
  そこには、姿をしっかりとどめている前方後円墳があり、大きなうろのあるケヤキや庚申さま(青面金剛)も祀られていました。鹿島神社も本殿に覆屋が作られており、中に、狛犬までいるのが珍しかったです。このほか、近隣の墓地の付近に前方後円墳が一基、竹藪の中に円墳が一基あるそうです。
 

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  最後に、東福寺に寄らしていただいて、おいしいお茶をいただきながら、まとめということになりましたが、子どもたちも、印象が強かったのか、積極的に感想を述べていました。 

 楽しい時間を過ごせました。東福寺のご住職、奥様、案内役をやってくださった鈴木さん、事務局の皆さんありがとうございました。

 

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青梅 22.6.3 塩船観音寺

 勤め始めて最初に配属された職場の方たちとの親睦会はもう30年以上続いていますが、全員がすでに退職していて、一番年下でも還暦を過ぎています。今年は青梅で一泊して懇親を深めました。

 せっかく青梅までいくので、周辺の名所旧跡などを訪ねました。最初は、塩船観音寺です。

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仁王門

 塩船観音寺は、若狭の国で人魚の肉を食し永遠の命を得た八尾比丘尼により、大化年間(645~650)に開かれたと伝えられていますから、今から、1300年以上前ということになります。

 本堂や阿弥陀堂は室町時代、仁王門はさらに古く平安時代末の建造物と伝えられており、それぞれ国の重要文化財に指定されています。仁王門にある二体の金剛力士像も迫力がありました。

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本堂と阿弥陀堂
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二体の金剛力士像

 また、花のお寺として、ツツジやアジサイが見事にさくようですが、残念ながら、ツツジは終わっており、アジサイはまだ早かったようです。

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 周囲はツツジの植栽で、護摩堂などの後方には、塩船観音寺開創1350年を記念し、この4月に落成した、大きな塩船平和観音像を見ることができます。

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新潟旅行 その4 弥彦神社

 弥彦(いやひこ)神社は、越後の国の一宮です。祭神は伊夜彦神(いやひこのかみ)で、別名を天香山命(あまのかごやまのみこと)といい、天照大神のひ孫とされ”おやひこさん”として親しまれているそうです。

 一の鳥居をくぐると、左手に神様の渡るとされる「玉の橋」が見えます。参道を左に曲がると二の鳥居があり、その先に随神門がありました。ちょうど、新婚さんが写真撮影をしていました。

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 随神門をくぐると拝殿あり、左後方に弥彦山が見えました。

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 さすがに、一宮だけあって、鬱蒼とした木立に囲まれた立派な神社で、周囲には弥彦神社の末社がいくつもありました。

 この神社の東参道の前には桜苑があり、ちょうど桜の見ごろでした。

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 桜の種類は60種ほどあるそうですが、それぞれ見事なものでした。(写真は、「楊貴妃」、「薄墨」、「彼岸桜」、「染井吉野」)

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雪入の十五社神社 22.3.11

 雪入ふれあいの里公園の帰りに、十五社神社によってきました。

 こじんまりしたお社(やしろ)で、参道には、道祖神を始めさまざまな石碑やお地蔵さまがずらっと並んでいました。

 参拝して、お社のまわりを歩いてみると、お社の右手には、庚申塚、庚申塔があり、お社の後ろには、木製の花火の筒が無造作に置いてあります。

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 さて、祭神ですが、日本書紀(古事記とは異なっている)の神代七代の11柱の神々のほか、国づくりにかかわった大己貴命(おほむなちのみこと=大国主命)とそれに協力した少彦名命(すくなひこなのみこと)、国譲りにかかわった武甕槌命(たけみかづちのみこと)と経津主命(ふつぬしのみこと)の4神をあわせて15社となるようです。

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 祭神の中に大工道命の名がありますが、「大工の神が祭られている」という話もあったので、調べたところ、どうやら神代の第五代の男性神”大戸道命”のようです。女性神の大苫辺命はそのとおり記載されているのですが、神代七代の神々の記載も順番どおりではありません。よく見ると、お札が貼ってあったようにも、書きなぞったようにも見えます。

 この神社の創建は不明で、少なくとも江戸時代からの記録があるようですが、長い間に色々あったのでしょう・・・・。

参考
  ぬきがき雪入学辞典
  かすみがうら市広報

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宍塚の般若寺

 土浦市宍塚にある般若寺は、平安時代(947年)に、平将門の孫娘安寿姫により創建されたと伝えられる由緒あるお寺です。

 鎌倉時代には、北条氏の保護を受け、栄えていたようで、当時をしのばせる銅鐘、釈迦如来像などの文化財たくさんありました。本堂には、上の間、下の間が設けられており、身分の高い人が訪れたのでしょうか?

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 庭には、気になる石仏など、お隣の鹿島神社(竜巻で屋根瓦が落ちてしまっていました)への参道沿いには、青面金剛菩薩像があり、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿が彫られていました。

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※追記
 気になる石仏は、筑波山麓を中心にした江戸初期寛永時代の造塔に見られる大日如来像で、いわゆる、鼻の大きな大日様というようです。

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涸沼の水神社

 涸沼湖畔にある「いこいの村涸沼」をひとめぐりしていると、小さな神社(水神社)がありました。

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 水神社(スイジンジャと読むらしい。)は、涸沼のほとりにある神社らしく、日本の代表的な水神である水波女命(ミズハノメノミコト)が祀られていました。ミズハノメノミコトは、弥都波能売神、罔象女命などとも記されるようですが、神産みでイザナミノミコトがカグツチ(火の神)を産んで、火傷に苦しんでいたときに生まれた神様だそうです。

 水神社のそばに、小川がありましたが、さすがに流れは澄んでいて、オオカナダモが生えていました。

 そばにはお稲荷様もお祀りされていました。

茨城県鉾田市箕輪の水神社の地図

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